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2022.09.05

森とまちを旅する tent vol3 ひとつの命に向き合うと、森が見えてくる・前編

今回は、宮城県石巻市の牡鹿半島で食猟師を営む、Antler Crafts(アントラークラフツ)の小野寺望さんを訪ねた。牡鹿半島で森の中で鹿と対峙して20年以上。鹿を獲るというのは並大抵のことではない。それでも小野寺さん、「そんなに難しいことじゃない」と言う。「森には動物のサインがたくさん置いてあるから」と。森で動物を追い続けている人だからわかることだ、と思う。

森の息づかい、動物のサイン、命の鼓動。小野寺さんの話を聞いていると、生命を生々しく身近に感じることができる。僕たちは、そういう自然の息づかいから離れすぎていて、命から離れすぎている、と教えてもらった。

分業と社会システムによって、僕らは自分で動物の命に直接、手を触れることなくお肉や魚を食べている。その命との触れ合いを思い出すことが、「行き過ぎた消費」から「ちょうどいい暮らし」を取り戻してくれる。

Antler Craftsとは?

宮城県牡鹿半島で鹿やカモを狩猟し、自社加工場で処理したジビエを販売。

鹿を獲るところから、お肉にするところまでを一貫して行う。狩猟だけでなく、森の山菜・果実・キノコなど牡鹿半島をフィールドに、自然の恵みのいただき方を提案し続けている。

鹿肉の美味しさから、国内外の料理人からも高く評価されている。

 鹿肉や山菜、木の実など小野寺さんが届ける森の恵を楽しみにしてらっしゃるシェフが全国にいると聞いて、お話をお聞きしたい!とやってきました。「食」という視点で森を面白くしている小野寺さんが、食猟師という生業にどのように辿り着いたのか、お聞きしていきたいです。もともと石巻の出身ですか?

生まれはここじゃなくて、もうちょっと北へ行った気仙沼。親父は漁師でね。

 魚の漁師ですか?

そう、マグロ船の船長でした。で、自分自身は、一度地元を離れて、東京で料理の世界にいたんですよ。そっから一旦地元宮城に帰ろうと思って、衣食住をプロデュースするような仕事に転職して。その仕事がきっかけで石巻に来たんだよね。

 こちらに戻ってきたのはいつ頃ですか

30歳手前くらい。

 そこから猟師を始められたのは、きっかけがあったのですか?

こっちにきて、しばらくした頃、仲の良い友人が東京から遊びにくることになってね。料理を作ってあげようと思ったの。その時、「最高のおもてなし」をするにはどうすればいいかなと考えて、自分で獲ったもので作るのがいいんじゃないか、と思った。

日本はさ、海のものはタイもマグロも天然物の価値が高いでしょ。山菜やマツタケ、きのこなんかも天然物が良しとされているのに、お肉に関してはそれがない。なまじっかフランス料理をやってたもんだから、ジビエってフランスとかでは高級品。日本での扱いとは雲泥の差。

 確かに。面白いですね。お肉以外は、天然物が最高級とされているけれど、高級牛などは飼育されたもの。日本ではジビエは逆に、くさいって思われていますよね。

野生動物の肉を食べる文化は、どちらかというと蓋をされてきた。さくらとか、もみじとか、ぼたんっていうように変えてしゃべってね。まぁ、江戸の文化でも普通に食べていたんですけど。そんなふうに考えたら、やらずにはいられない。自分でライセンス取って、キジやカモを獲って、おもてなしをしたい、と思ったのが始まり。

 なるほど、フランス料理の世界にいたからこその発想ですよね。地の最高なものでおもてなしをしたい、というのは確かに最高ですね。

サプライズじゃないけど、人を喜ばしてなんぼの商売みたいなもんでね。「これを自分で獲ったんだよ」っていうのをやりたかったんですよ(笑)。

 友達が来るから「最高のおもてなしってなんだろう」から始まったというのは面白いですね。「ご馳走」も「方々走りまわる」という意味から、おもてなしに走り回って準備をするというところから来ていると言いますもんね。「もてなしの気持ち」がスタートだったんですね。

単純にそれだけです。むしろそれ以外にないんじゃないか、とも思います。

 最高です。最初は鳥猟からはじまって、徐々に鹿猟に移行していったんですか?

今から20数年前になるんですけど、高齢者が増えて、耕作放棄地が増えて里山の風景も変わってきてしまった。田んぼや畑が減っていく中で、鹿が増えて、逆に鳥がなかなか獲れなくなっちゃったんです。

 耕作放棄地が増えたことで、生態系が少しずつ変化していった。

鹿による獣害も増えてきていたのもあって、悪循環ですよね。それで猟友会での有害鳥獣駆除が増えて、今ではほとんどが鹿猟ばかりですね。

撃たない猟師

 有害鳥獣駆除だと、ほとんどグループでの猟ですか?

ですね。今は、年がら年中有害鳥獣駆除をやっているから、個人の狩猟っていうのは本当に少ない。11月いっぱいまで有害駆除、12月から今度は指定管理事業、国の事業の有害駆除。それが3月いっぱいくらいまで。だから、ひとりの猟は3月1日から3月15日の2週間くらいしかないんですよ。

 めちゃくちゃ短いですね。

でも今は、もう一人で猟に行っても撃たないんだよ。

 撃たないんですか?

そう、撃たない。自分でここに何が残っているか、なんてリサーチしながら、鹿の足跡をトレースしていくの。どこにいるだろうって自分の中で想定して、この様子だとここを越えて行ったら何頭いるなって考えて。

そこに思った通りの鹿がいたら、安心する。それで一度スコープで狙って、そこで終わりにする。

 銃を構えて、スコープで覗いて終わりにする。

うん。別に肉が欲しいわけじゃない。角が欲しいわけじゃないし、単純に、ここにこういう動物が残っているんだっていう。そういう安心感を感じるためにやってるんだよね。

 今はもう、そういう境地なのですね。それはどうしてなのでしょうか?

「食住」事足りているのに、積極的に「殺したい」なんて気持ちはないんですよ。獣害っていうのもそうで、誰が決めた獣害だろうって。鹿は普通に自分たちの営みをしているだけなんだから。

 確かにそうですね。

有害駆除をずっと繰り返しやっていると、心が病んでくるんです。獲った鹿を全部良い状態で食べられればまだいいけれど、そういうわけにもいかない。グループでやっていると、全体で動くし、数を獲る必要もあるので、撃った鹿を野ざらしにしておくこともあります。撃ってから3時間も4時間もね。夏場なんてのはほんの30分でウジがわきますから。

それで、カラスに目ん玉突かれて、トンビに肛門えぐられて、内臓を引き出されてさ。地獄絵図みたいに惨劇です。反芻動物はよくゲップするでしょう? それは、お腹にガスを溜めているからで。胃の中に微生物が多くいるから、どんどん発酵していってね。そのガスで腹がぱんぱんにふくらんでくる。そうすると圧がかかって、また内臓を圧迫するから肛門からも出てくる。

 話を聞いているだけでも、壮絶です。

だからね、嫌になってくるんだよ。例えば、生まれたばかりの子鹿連れた母親なんていったら特に辛くてね。痛いとさ、「メェーメェー」ってすごい声で鳴くんだよね。特に有害駆除の現場では、情け容赦持っちゃいけないっていわれる。周りのメンバーは、みんなメンタル強い奴ばっかですよ。俺メンタル弱いから、こうやって毒吐いてさ、溜飲下げてる。ほかの奴らから見たら、ただの意気地なし。だけど、自分は、意気地なしでもいいから、鬼にはなりたくないんだよなぁ。

 命と対峙するというのは簡単ではないですね。ですけど、猟なども獲れば獲るほど、慣れてしまいそうですが、そうならない、というのはすごいことですね。

簡単じゃないですよ、ほんと。1月~5月の期間は胎児が入っている。獲った鹿をちゃんと美味しく食べるというのが、自分の努めだと思っているけれど、全部が食べられるお肉という訳でもない。特に授乳中だったりすると、脂ものってないお肉になる。そりゃそうだよね、お乳あげてるんだからさ。

 命の営みと僕らは普段離れすぎているので、そういう感覚に鈍感になっていると実感します。「おいしく食べてやりたい」という想いが人一倍あるからこそ、小野寺さんは「食猟師」なのですね。

そうだね。だから、自分が狙うときは、美味しく食べられる鹿を獲りたい。それがせめて自分にできることだから。

>>森とまちを旅する tent vol3 「ひとつの命に向き合うと、森が見えてくる」後編はこちら

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