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2021.07.14

森とまちを旅する tent vol2 牛のいる森がつくるもの・前編

今回は、栃木県那須高原で放牧酪農を営む、森林ノ牧場の山川将弘さんを訪ねた。牧場と森林の掛け合わせで、「田舎での暮らしをつくる」を目指す山川さん。森のことを森として考えるのではなくて、他の生業と掛け合わせることで生まれる価値が大切だ、と僕らは考えている。森が今よりいろんな人にとっておもしろい未来は、業界を越境して新しい価値を探すこと。

それを実践し続けている山川さんの話はやっぱりとても面白かった。見せ方やブランドづくりではなく、人が「無関心」なものに「関心」をどうやって想起するか。それが大事だと教えてもらった。森や海、自然を自分ごとにするのはとても難しい。だからこそ僕らはいろんなところへ行く必要があると思う。いろんなところへ越境していくことが大切なのだ。

森林ノ牧場とは?

「田舎での暮らしをつくる」を理念に掲げて活動する森林ノ牧場。

森林と酪農を結びつけることで、牛は森林に、森林は人に、人は牛に食べ物や仕事や癒しを与えてくれる。そんなお互い様の関係の中で、森林を放牧地としたジャージー牛の牧場を営む。

そんなお互い様の関係性の中で作り出された乳製品や加工品は、観光に訪れる人たちだけでなく、地元の人からも愛されている。

「酪農の合理性」を考える

―山川さんにお話をお聞きしたい!と思ったのは、HPにも書いてある「田舎での暮らしをつくる」というメッセージがきっかけでした。どういう想いで今の牧場ができてきたのでしょうか。

うーん、そうですね。僕は、酪農って合理的な産業だと思っています。牛って僕らが食べられない草や藁を食べて、働いてくれます。畑を耕したり、田んぼを起こしたり。数十年前までは、それが割と普通の日本の農村風景でした。そして働けなくなったらお肉にして感謝していただく。

―確かに、昔の農耕牛と人間の付き合い方は合理的な感じがします。

それから、牛乳や牛肉の価値が高まってくると、農耕牛ではなく、ミルクをたくさん搾れるように、美味しいお肉がとれるようにと、品種改良が進みました。より効率的に牛乳を生産できるように追求された結果、牛乳は安く買えるようになったけれど、その代わりに別の問題が出てきています。例えば、世界のCO2排出量の中で畜産が占める割合が激増しました。

―そういう何か一点の効率性を追求した結果、不合理が生まれた、というイメージですかね。

そうですね。僕らは、今の時代にあった合理的な酪農を考え直したいと思っているんですよね。

―効率を追求してきた酪農産業から、時代にあった合理性を問いなおす。とても面白いですね。「いかにたくさんの牛乳をしぼるか」ということから、「牛と人間の共存関係をどうつくるか」へと変えていくような感じですか。

そうですね。いきなりややこしい話ですみません。

―いえいえ、とても大事なことだと思います!

森林を使って放牧するというのも、その新しい合理性の一つだと思っています。

北海道で見た光景から一直線に

僕が酪農を生業にしているのは、もともとは田舎暮らしに憧れていた、というのが出発地点にあるんですよね。

―どちらのご出身なんですか?

埼玉県川越市出身なんですけど、子供の頃から魚釣りが好きで。大人になったら、自然に近い場所で暮らしたいと思っていたんですよ。そんなふうに考えていた中学生の時に北海道旅行に行きました。旅行中に牧場を見て、牧場で働けば田舎暮らしができる!と思ったのが酪農への興味を持ったきっかけなんです。

―田舎暮らしがしたくて、牧場を見て…、酪農家を目指す。そんなことがあるんですね!

そんなことがあるんですよ(笑)。そこの牧場が牛を放牧していて。だから牛って放牧するのが一般的だと思いまして。

―みなさん割とそう思ってるかもしれませんね。

僕の実家はサラリーマン家庭で、農業や酪農のことなんて全然わからない。どうやったら酪農家になれるのかすらわからなくて。それで、東京農大に行けば酪農家になれるかなと思って東京農大に入学しました。

―中学生の頃の体験から、酪農家を目指してそのまま東京農大を目指すというのはかなりストレートな性格ですね!

アハハ、そうですね(笑)。大学に入って、酪農の勉強をしてみたら、憧れていた放牧酪農が全然されていないことが分かりました。今では放牧酪農も少し見直されてきたけれど、当時は本当に少なかった。どうして放牧酪農がされていないのだろうか、と不思議に思いました。

―それはどうしてだったんでしょうか?

各酪農家さんが搾った牛乳は、自分で販売するのではなく、地域の酪農組合が一旦買い上げるんですよね。組合が集めてそれをメーカーに売って、メーカーが消費者に売る。この仕組みは乳製品の安定供給には欠かせない仕組みなのですが、酪農家さんの牛乳はすぐに混ぜられてしまいます。1リットルいくらという買取価格が決まっています。それはつまり、どんな飼育方法をしていても、値段が変わらないということです。そうなると、一頭あたり、よりたくさんの牛乳を出してもらう方が稼ぐことができる。

それに対して、放牧をすると、牛は歩き回るのでそこにエネルギーを使いますし、エサの量も管理ができません。そうなると乳量が減ってしまいます。だから経営としては成り立たない。

―酪農家さんにとって、放牧酪農は非効率ということですね。

そういうことですね。それでも、信念を持って放牧酪農をしている酪農家さんたちもいました。なので、放牧酪農は技術的にできないわけじゃない。技術的な課題ではなく、流通側に問題があるんだと。なので、流通の課題をどうすれば解決できるのか、ということに興味が湧いてきました。

―その頃は大学生ですか?

そうですね。それで、実際に岩手県沿岸部で放牧酪農をやっている酪農家のところに就職しました。

―酪農家さんのところに就職したんですね。もう本当に一直線すぎて、感動します。

そうですね。ようやく念願の田舎暮らし。もう、本当に毎日楽しかったです。

―いいですねー!どんなところが楽しかったのですか?

牧場には山林もあったので、山の恵みを収穫したりとか。当時はとにかくお金がなかったんですよね。だけど、山菜とかキノコとかめちゃくちゃ美味しくて。漁師さんと物々交換したりして、山菜がウニとかアワビに変わりました。それもすごい美味しくて!

―聞いてると確かに楽しそうですね!

お金がなさすぎて、灯油を買うのも惜しいくらいでしたよ。でも、牧場には木がたくさん生えていたから、それを伐って薪にしました。周りに暮らす人たちもそんな感じだったなぁ。そういう日々の暮らしの中で、「田舎暮らし最高!」って満喫してましたね。

―聞いてるだけでなんか楽しさが伝わってきて嬉しくなります。

でもやっぱり一方で田舎暮らしのしんどさというか、思うところもありました。

―それはどういうことですか?

酪農家として、まず給料がかなり低かった。周りにも仕事があまりないから、若い人たちは都会に出てしまう。そういう田舎が抱える課題みたいなものも肌で感じました。若者が出ていくと、その街の文化が維持できなくなる。田舎に仕事を作ることの大切さを実感したのは、その時かもしれません。

僕自身もお金はなかったけど、森の恵みをもらって生きていました。でも、これが全然関係ない仕事だったら、森に入ることもできなかった。

―確かに、基本的に山も誰かの所有物なので勝手に入ったりできないですもんね。入れても一人では食べられる山菜やキノコの見分けもつかないでしょうし(笑)。

そうなんですよ。それで、田舎で仕事をつくるなら、田舎でしかできない仕事がいいなと思いました。そしたら放牧酪農って田舎でしか出来ない仕事じゃないですか。広い土地が必要なので。それからは牧場をつくって、田舎で暮らしたい人の仕事をつくろうと考える様になった。それが森林ノ牧場が掲げる理念「田舎での暮らしをつくる」につながっているんですよ。

性格的になんでも楽しめちゃうので。なんか、貧乏がね、すげー楽しくて!

―楽しかった感じが伝わってきます。すごくいいですね。お金はなくても工夫する日々にワクワクするみたいな感じなんですね。

岩手、京都、そして那須へ

それから岩手で2年働いた頃、その牧場が倒産してしまったんですよ。

―えー!そうなんですね。

そうなんです。ちょうどその頃に、森林を牧場として利用するプロジェクト「森林ノ牧場」が京都で始まるという話を聞いて、そこにスタッフとして参加したのが今の森林ノ牧場の始まりですね。

―別会社のイチ部門としてスタートしたのですね。

そう、リサイクルの会社でした。そこで森林問題やリサイクルのことを教えてもらいました。

工業製品のリサイクルの仕事で、それは消費社会によって成り立っている。それはもちろん大事だけれど、自然資源の利活用も大事なことなのではと、森林活用の一環として始まったのがこのプロジェクトだったんですよね。

―森林問題が先に立っていて、森林の利用として牧場を組み合わせたんですね。

そうですね。それで、2年間京都の森林ノ牧場で働いた後に、那須のこの場所に新しく立ち上げるタイミングで移住しました。そこで軌道に乗せようと奮闘しているところで、またも会社の事業撤退が決まったんですよ。

―それはショックですね。

ショックでしたね。4年間赤字だったので仕方ないか、とも思いました。ただ「これから」というタイミングだったので、自分が引き継いでやることを決断しました。

―赤字だった事業を引き継いてやるというのは、すごい覚悟ですね。

お客さんも増え始めたところだったから、もう少しでいけるという手応えもあったので、自分が引き継いでやろう、と決めました。それで会社を引き継いで、新生「森林ノ牧場」として準備を進めていたのが2010年の冬。準備も大詰めの2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。

―引き継いでこれからというタイミングだったんですね。

そうなんですよ。それで放牧酪農ができなくなってしまって、那須にもお客さんが来なくなりました。諦めかけましたね。でも近所の酪農家さんが牛を預かってくれることになって、乳製品の製造を続けたんです。

―放牧酪農がやりたかった山川さんからすると、本当に辛いですね。

本当に。そのとき、自分に何ができるだろうか、と毎日考えていた。それでもやっぱり結論は同じでした。自然エネルギーでできる放牧酪農ってやっぱりいいなって。やっぱりこしれしかないよな!って思いました。それからは銀行融資やクラウドファンディングを利用しながら、3年かけて放牧地の除染作業をして、2014年から放牧を再開することができたんです。

>>森とまちを旅する tent vol2「牛のいる森がつくるもの」・後編はこちら

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