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2021.06.13

森とまちを旅する tent vol1 「スギダラケ」の理由・前編

日本全国スギダラケ倶楽部。略称は「スギダラ」。森の未来をつくっている人、というのは、森に関わるあらゆる業種の人が当てはまる。林業をしている人はもちろん、木工家も、デザイナーも、キャンプ場もそのほかにもたくさんある。その中で、地域の木を使った取り組みを調べていくと、若杉さんにぶつかる。いろんなところに若杉さんの名前がある。宮崎県日向市の木造駅舎のプロジェクトや地域の杉を使った家具プロジェクトなどなど。これは若杉さんに話を聞いてみたいね、と思ってドキドキしながら問い合わせる。まだありもしないフリーペーパーの取材。にもかかわらず若杉さんは、すぐに快諾してくださった。

取材に行く前に、ウェブサイトで「スギダラ」について調べた。しかし、スギダラケ倶楽部という倶楽部が普段何をしている倶楽部か、が掴みきれない。若杉さんも同じく、だ。若杉さんを調べると様々なHPが出てくる。「杉屋」、「鹿沼のすごい木工プロジェクト」、「KOIYA」、「obisugi design」、「木食同源」などなど。 このほかにもまだある。スギダラケ倶楽部と他のプロジェクトはどういう関係なのだろう、と不思議に思いながら、武蔵野美術大学を訪ねた。 話を聞いてみたが、結局よく分からなかった。

しかし、なぜよく分からないのか、が分かった。「スギダラ」というのはゆるやかな共同体であり、参加している人がそれぞれの方法で、杉を使って町をおもしろくしていくことを共通言語に集まっている。だから、それぞれの地域で色々なプロジェクトが生み出される。それは「スギダラ」が統括するのではなく、その地域ごとで文化を背負って活動をする。そこにデザイナーがいないから一緒にやってよ若杉さん!という感じで広がっている。 だから全貌なんてつかめないのが当たり前。いろんなところで生まれるプロジェクトに「いいじゃん!」と背中を押しているのが日本全国スギダラケ倶楽部なのだ。

日本全国スギダラケ倶楽部とは?

戦後の植林によって杉だらけになってしまった日本の山林をやっかいもの扱いせず、材木としての杉の魅力をきちんと評価し、産地や加工者、流通、デザイン、販売など杉を取り囲むシステムを結びつけることで、杉をもっと積極的に使っていこうじゃないか!という運動です。つまり、これからは山じゃなくて、街や住まいをクオリティが高く愛情のこもった杉のものでスギダラケにしていこう!というプロジェクト。 現在全国に24支部、2400人が参加。

「いいデザイン」

 ─日本全国スギダラケ倶楽部は若杉さんらデザイナー3人が居酒屋で盛り上がって立ち上がったと聞きました。最初の立ち上がりについて教えてもらえますか?

「スギダラ」を立ち上げるまでには、長い長い話があるんですよ。 僕はね、美大を出て「デザインは社会を美しくするものだ」と信じて、憧れて、プロダクトデザイナーになったんですよ。デザイン会社に入って、文房具から家具まで様々なプロダクトデザインをやってきました。最初は良かった。ただ20代後半頃から、違和感を持つようになりましてね。

─どんな違和感でしょうか?

社会を美しくするはずのデザインが、利益だけを追求する道具として使われて、消費経済を煽るために使われている、ということです。「売れるデザイン」が「いいデザイン」とされています。しかしですね、売れることだけが本当に大事なのだろうか、と考えてました。それを上司にぶつけるわけですよね。「売れることより大事なことがあるんじゃないでしょうか!!」と。

─いいですね!上司の方には何て言われたんですか?

「そんなもの、あるわけないだろ!」と怒られました(笑)

─売れることより大事なことがあるのではないか、というのはどうしてそんな風に思われたんですか?

いくら売っても際限がないんですよ。ひとつのプロダクトで30億円売り上げたこともありました。1つの商品ですよ!? もういいじゃないのか、と思うようになったわけです。常に新しいものが求められる。新商品、便利で簡単。誰のためのデザインかがわからなくなる、そんな感覚ですよね。

─そのとき若杉さんが考えていた「いいデザイン」というのはどういうものだったのでしょうか?

それはさっきも言ったように、「社会を美しくする」ということです。僕は熊本県の天草出身。実家には小さいですが山がありました。僕が子供の頃は、「山は地域の未来だ」と言われていて、林業は地域の基幹産業だった。その林業が衰退するとともに、地域もかなり疲弊してしまっていた。そういった地域の荒廃を煽ったのは、ひょっとしたらプロダクトデザインの功罪かもしれないと感じていました。このような偏った消費社会をつくる片棒を担がされていると感じたんですよ。

─当時というと、1980年代後半。今聞くと持続可能性みたいな文脈は理解ができますが、その時代の中ではかなり先進的ですよね。

こんなことを何度も言うから、経営からは煙たがられる。30歳のときには、とうとうデザインの部署から外されてしまいました。いわゆる窓際ですよね。丸々10年間他の部署を転々としました。

─そんなあからさまなことがあるんですね。デザイン部から外されて、会社を辞めようとは思わなかったんですか?

思うに決まっているじゃないですか!

─若杉さんのように技術があれば独立したり、転職したりも出来たと思うんですがどうして続けられたんでしょうか。

当時、仕事終わりに、別の事務所に行ってデザインをさせてもらってましてね。お金をもらったらクビになるので無償でね。そこの親びんに認めてもらっていたんですよ。で、その親びんに「辞めるな」と言われたんですよ。「お前がデザインは社会を美しくすると考えているなら、大きな会社にいた方が社会を美しくできるだろ」と。「個人になったって、辛いのは変わらないなら、会社で出来ることをやれ」と言われて結局辞めなかった。

─若杉さんの「デザインで社会を美しくする」、という覚悟というかデザインに対する想いというのは本当に強いものだったんですね。

想いというか、もうここまでくるとデザインが好きだと思わなければ立っていられなかったんですよ。「自分はデザインがやりたいんだ!」と思うことでなんとか自分を保っているようなものですよね。

─その想いが強まっていく中で「スギダラ」を立ち上げることになったのでしょうか。

きっかけみたいなものは特にないんですけどね。本当にふとしたときに、地域の資源を使わなくなった社会と自分自身が携わっているデザインが作り出している未来が重なって見えたんですよね。資源の源である山は荒廃し、地域産業をダメにしてしまいました。それは、私たちの便利で、簡単で、豊かな消費社会が引き起こした結果です。「デザインが社会を美しくする」のであれば、地域資源を使って社会を美しくする、簡単便利じゃない豊かさにデザインを使うことに人生をかけるのがいいのではないか、と思いついてしまった。思いついたからにはやるしかないじゃないですか。

血の繋がっていない親戚の集まり

─「スギダラ」のウェブサイトなどを拝見したのですが、どんな活動をしているのかが掴みきれななくて。スギダラは普段どんな活動をしているのでしょうか。

「スギダラ」は全国に支部があって、支部ごとに集まってそれぞれで活動しています。「スギダラ」自体にはルールもなにもないんですよ。たまに「遊びにきて!」とか、「一緒にやろう!」って声がかかる。そうすると、面倒くさいけど「あのおっさんが呼んでるからしょうがねぇだろ、みんな行くぞ!」といってみんなで駆けつける。血の繋がっていない親戚の集まり、みたいなものなんですよね。

─その感じ、すごくいいですね。ゆるやかなコミュニティが全国規模でつながっていて、何かあったら集まるというのは、確かに親戚のような感じですよね。

そんな感じです。親戚の集まりに行くと面倒なオヤジが1人や2人はいるじゃないですか。そんな残念な感じも含めて「スギダラ」は親戚の集まりみたいな感じ。参加費も年会費もなしです。よくお金をとればいいじゃないか、と言われるのですが、始めた時からお金を交えないと決めていましたし、今もそれがいいと思ってます。

─無料だからこそ親戚のつながりみたいなものなんですね。ただ、実際に無料で18年間も続けるというのもすごいことですよね。

だってさ、お金もらうのって面倒だもんね。そう思わない?

─面倒くさいというのが理由なんですね!確かに、お金を集めるというのはとても大変だし、有料にするとその分の見返りを求める人が増えてくると思うので、今のようなゆるやかなコミュニティにはならなかったのかもしれませんね。

そうです。お金を介さないことで、行政の人たちも自由に参加できる。想いを持った人たちが集まればそこから何かが生まれるじゃないですか。そういうのがいいんですよ。

─だからこそ全国にこれだけの仲間が集まりプロジェクトが動いているんですね。なんとなく「スギダラ」の活動がわかった気がします。なんとなくですが(笑)

>>森とまちを旅する tent vol1「スギダラケ」の理由・後編はこちら

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