皆さんは、松を知っていますか?身近なところで言うと、‟松ぼっくり”を実らせる木です。日本絵画を見ると、風景の一部として松が描かれているものをよく見かけます。また、日本三景(天橋立・厳島・松島)にも松の木は欠かせません。松竹梅の1つでもあり、昔からとてもめでたい木として親しまれてきました。日本の歴史と切っても切り離せない縁で結びついている松。しかし今、その松が枯れゆく運命にあります。
今日は、そんな松と私たちがどんな関わり方をしてきたのか、そしてなぜ今松が枯れゆく運命にあるのかについて、深堀をしていきたいと思います。
松について
松とひとくくりに言っても、色んな種類があります。日本に自生しているマツ科マツ属の樹木は8種類。その中でも特に、日本各地に生えているクロマツとアカマツは身近な樹木として親しまれてきました。
下の写真は、信州伊那谷のアカマツです。大きな特徴は、その名の通り“樹皮が赤い“ということ。特に夕日に照らされたアカマツ林はとても美しく、神々しい独特の雰囲気を放っています。
また松(アカマツ・クロマツ)は、裸地になった場所に一番最初に芽を出し、そして他の木々が育つことができる土壌づくりをする‟パイオニアプランツ(先駆植物)”でもあります。
森は、少しずつ移り変わっています。
たとえ山火事が起こったとしても、自然豊かな日本では、長い年月をかけて再び森に戻っていきます。苔が生えて、草が生える。そして、松が生えて、その後にコナラなどの広葉樹が芽を出す。
最終的には、白神山地や屋久島などで見られるクライマックス(ブナやヒノキなど、光を余り必要としない陰樹がメインの森)になります。なんとクライマックスに辿り着くまでに、150年以上の歳月がかかるとのこと。先陣を切って芽を出し、次の世代のために土壌を肥やしていくなんて、逞しい限りです。
神様を待つ(マツ)木
古く、中国から日本へと漢字が伝わってきたその当時、読みが同じ漢字は、同じ意味を持つものとして使われていたという説があります。例えば、‟松”と‟待つ”。
百人一首にある在原行平が詠んだ短歌「たち別れ いなばのやまの 峰に生ふる 待つとしきかば 今帰りこむ」も、‟待つ”と‟松”をかけて、恋人を待つ切ない心情と松の美しい情景を重ねています。きっと、松を恋人に見立てて思いを馳せていたのではないでしょうか。
また、お正月に玄関へ飾る立派な門松。これは、新年を迎えるお正月に、‟神様が家に来てくださるのを待っています”という目印として飾られていたのだそう。門松にそんな思いを込めていただなんて、なんだか心がほっこりしませんか?
日本を代表する絶景、“日本三景”を織りなす松
冒頭で少しご紹介した日本三景として有名な松島(宮城県)、天橋立(京都府)、宮島(広島県)。これらは古くから、日本の絶景として親しまれてきました。そして、この景色に欠かせないのが松です。雄大な景色を織りなす樹木として、松島、天橋立、宮島ともに松が生えています。
これらの場所に生えているのは、クロマツ。クロマツは海沿いに、アカマツは山側に多く生えています。クロマツの特徴としては、その名の通り黒っぽい樹皮を持っていることです。
また、松は街路樹としても慣れ親しまれてきました。松の並木道をヒノキ傘をかぶって歩いている様子が描かれた浮世絵を見たことはありませんか?有名な浮世絵師、葛飾北斎の絵にも度々松並木が登場します。松の並木道は、日除けや風除けばかりでなく、旅人の休みの場としても、そして旅人たちの道しるべにもなっていました。
その名残が、”一本松”や”二本松”などの地名として、今も残っているのです。
寸志の意を表して、松の葉と書く。日本文化に垣間見る、松の姿
ここからは、どんな風に日本の文化と松が関わっているのか、具体的な事例をご紹介していきます。
まずはじめは、贈り物に添える“松の葉”。これは、心ばかりの感謝の気持ち(寸志の意)を表しています。“ほんのわずかですが”、“松の葉で包むほどわずかばかりですが”という意味が込められているようです。
次は、冬の季語にもなっている「敷松葉」。お庭に枯松葉を敷き詰めて、苔などを霜の害から守るしつらえです。また、その美しさや風情を楽しむことができます。
枯松葉はこの他にも、蚊やり(蚊を追い払うためのお香)や焚き付けとしても使われていました。様々な使い方ができるためとても重宝されており、江戸時代には幕府へ納める上納物(税金のようなもの)にも選ばれていたようです。
松は、食用としても様々な使われて方をしてきました。移り変わる季節の中で、寒さ厳しい冬でも青々とした葉っぱを付け、1年を通して凛とした姿をしている松。この様子から、不老長寿のシンボルにもなっており、不老長寿を目指す仙人が松葉を食していたとも言われています。また、長野県の安曇野には、松葉みそというものが残っています。大豆を煮て味噌を仕込む時に、なんでもアカマツの芽も一緒に入れて仕込むのだそうです。
松葉を使って、天然の発酵サイダーも作ることができるのですよ。(森と暮らし事典にレシピをまとめてあるので、もしよかったら、ぜひ読んでみて下さい。)
その他にも、しなやかで強度のあるアカマツの木は家の梁に欠かせません。また、木を紙のように薄く削った日本伝統の包装材”経木”にも使われてきました。
木材は梁や経木に、葉っぱは漢方や暮らしの道具にと、まさに余すところなく使われた松。先人たちにとって、松はとても身近で親しみのある樹木だったんだなと改めて感じます。
枯れゆく運命にある、松。樹木の伝染病、”松枯れ病”とは?
長年、人々に親しまれ、日本の文化に溶け込んでいる松。そんな松が今、”松枯れ病”によって次から次へと枯れ行く運命にあります。松枯れ病とは、マツノザイセンチュウが松の中で大量発生することで、樹木が必要な水分を吸い上げることが出来なくなることによって枯れてしまう現象です。元々、北アメリカに生息していたこのザイセンチュウは、輸入品の中に紛れて日本にやってきました。そして、日本に棲息していたマツノマダラカミキリに寄生。マツノマダラカミキリが松の新芽を食べたその松の傷口からマツノザイセンチュウが松へ入り込み大量発生するという仕組みです。枯れた松にマツノマダラカミキリは産卵をするので、マツノザイセンチュウのマツノマダラカミキリは共生関係にあります。
松枯れ病になってしまった木は、細かく砕いてチップにするか、薪として燃やすか、薬剤で燻蒸処理(マツノザイセンチュウとマツノマダラカミキリの幼虫を駆除するため)する必要があります。そのため、材として使うのは難しくなります。
枯れゆく木に、新しい命を
「木は、二度生きる」という言葉があります。
一度目は、大地に根を張り、青々としてた葉っぱをつける樹木として。二度目は、職人たちの手によって、家の柱や暮らしの道具などへと、新しい命が吹き込まれます。
私たちが拠点を構える信州伊那谷は、スギやヒノキよりも、アカマツがたくさん生えている全国的にも珍しい地域です。
アカマツが枯れる前に伐って、新しい豊かな森をつくっていく。そして、伐ったアカマツに職人の手で新しい命を吹き込みたい。私たちは、こういった想いで伊那谷のアカマツを作ったプロダクトづくりをしています。(家の中でも、森の中でも。pioneer plants/敷く、包む、飾る、木のまま使う。信州経木Shiki)
身近にある地域の資源を、持続可能なちょうどいいバランスで暮らしに取り入れていく。私たちはこれからも、こういったプロダクトを通して、森と繋がる暮らしを提案していきます。
参考文献:「松 ものと人間の文化史16」高嶋雄三郎(法政大学出版)